左乳房全摘手術

私の場合、人工物を入れて再建するか、全摘かの2択でした。


人工物を入れて一生過ごすのは嫌だったので、全摘に。体の傷も肩やお腹に無駄なキズをつくらず、良かったと思います。


とくに怖さや不安はなかったのですが、来るはずのなかった夫と義母がきてくれて、逆にそわそわ。

でも、来てくれなかったと後々思うよりは、来てくれてよかったと思いました。


手術部にはいると、お友達が働いていて、手を降って頑張ってくださいのポーズで見送ってくれました。


笑顔で手術室入り。


ふわふわの細いベッドに寝て、マスクから麻酔がはいると、上の大きな照明が、ゆらっゆらっとして、気づいたら夢を見てました。


朝ごはんをたべる子どもたちの様子がうかび、左に長男、右次男が座って食べてる様子をキッチンで家事をしながら見てました。

ほんの10秒ほどのこと。


先生の「終わりましたよー。センチネルリンパも見ましたが転移ありませんでしたので。」


なにか言わなきゃと

「ありがとうございます」といって


次気づいたときは術後の個室でした。


服も着替えさせてくれていて、ほぼ身支度は終わってました。


主人をよびにいってくれて、酸素マスクをつけたまま会話しました。終わった報告をラインで代筆してくれました。

口が達者だと言ってました。


麻酔がきいてるのかと思ってたら、もう手術のときの麻酔は切れてると思いますよーとのこと。

追加の痛み止め点滴はなし。


夜は二時間おきくらいに看護師さん見に来てくれて、朝ごはんも完食。


2時から5時頃まで手術で、翌朝9時半には歩いて病室へ戻ってきました。


排泄の管が抜け、点滴がぬけると、動きやすい。

ドレーンが抜けるまで、安静とリハビリ。




なんだか、すべてに感謝したくなる、気分で、これから、どんなことも楽しいことだと思える気がしてました。


嫌々だった長男の習い事の付き添いも、ママたちの輪に入って笑顔で会話してる様子をイメージしてました。


次男と公園に行って私も楽しんでるイメージをしました。


次男のママ友に声をかけて、プチ個展を開いてる様子もイメージしました。まずは、自宅でやってみたい。10作品くらいつくろう。


ひたすら馬場俊英さんの音楽を聞いて、ベットで寝返りも打てず、グーパー体操や足を曲げ伸ばししたりして過ごしました。

手術前日

2日前(といっても土日挟むので4日前)に入院し、土日は外泊で自宅に戻りました。


子どもたちとお風呂に入れるのは最後かもしれない。と、楽しみにしてたのだけど、主人と些細な口論(言わなくていいことを知っててほしくて気づいてほしくて言ってしまった)で意地をはり、子どもとのお風呂を逃してしまった。


うずくまっていたら、

次男は「お母ちゃん、泣いてんねん!ほっときー!」と通り過ぎ、

長男は、「どうしたん?」と、よってきてくれました。

黙って顔を伏せてる私の手に、幼い手をのせ、様子を見るように、指をにぎってくれました。


子どもたちとお風呂に入りたかったこと

旦那のへの愚痴

もう一緒にはいれないかもしれないこと(こわがったり、成長とともにはいらなくなるだろうから)


ブツブツ泣きながらつぶやく私の話を聞いてくれて。


「ぎゅーしよう」と、いってくれるものの、

それでも、動かない私。

「胸がなくなってもお母ちゃん大好きやで。こわくないから、また一緒にお風呂入ろう。泣きやんで。ぎゅーしよう。」と、言ってくれました。


手を広げる長男に、私は木に抱きつけず、

そこへ次男が。


「お母ちゃん♡」にこ

と、前にしゃがみ、私の手を小さな両手でにぎってくれて、兄のマネして「ぎゅーしよ」といいます。


動かない私に、両手を私の首にふわっと添えてぎゅっと抱きしめてくれました。


そらから、やっと、手を広げれた私に、長男もハグしてくれました。



留守番で寂しい思いをして、励まさないといけないのはこちらなのに、逆にはげましてくれて。


一緒に布団に入ることができました。


どんなお母ちゃんでも大好き。

子どもからの無条件の愛って、これなんだろうなと心満たされて二人の間で眠りました。

たたくことは、愛情か?たたかれた子は愛情だと受け止めるのか?

JUGEMテーマ:こころ

 

今日、母から電話があった。

手術の時間や、2週間旦那の実家に孫たちがお世話になるため、何を送ろうかという相談だった。

気にかけてくれて、ありがたい。義父母も、両親と良好な関係でいてくれるので、ありがたい。

 

実家にこちらから電話をかけるのは勇気がいる。

もともと私は電話が苦手だ。相手の時間を突然さえぎるし、話し出すタイミングが見えずかぶることがあり、話すのが難しいからだ。できるだけ、電話はしたくない。かける先が実家だと、父が出るかもと思ったら不安だし、母が急いで電話に出ようとして、母の作業を止めたり、父の機嫌が悪いタイミングだったりしたらと思うから。

 

母からかけてくれる電話はうれしい。

その時に取れないと、かけなおすのが、ちょっと大変なんだけど。

 

切り絵展を見ている途中だったけど、友達を一人にして、しばらく話してしまった。

友達は、長い電話だからどうしたのかと心配してくれていたけど、見るのを待っていてくれた。

 

 

母は、こんな話をしてくれた。

 

父が兄に、細かなところまで注意するとき、「また、言っているわ。」と、思うことは、よくないと「教え」をいただいたとのこと。

夫婦気持ちを一つにして、子どもに向かうことで、子どもは親が言っていることを真剣に受け止め、考え、行動していけるのだと。

それが、たたくことであっても、それが父の愛情だということ。そう子どもに伝え、子どももそれを受け止めるようになるから、主人を否定しないこと。

 

今、母が学んでいることは、私が学ぼうとしていることと同じような問題みたい。

でも、私がまだ未熟なのか、私はたたくことも、言葉の暴力(怒鳴ることなど)も、親の愛情だと思えない。

ドラマなんかではよくたたくことで、目を覚ませ!みたいなシチュエーションがあるけれど。

 

母は、私たちこどもがたたかれる姿を見て、心を痛めていたと思う。それでも、父を止めることはできなくて、(止めるべきでないと戦っていたのかも)私は、こわかったし、(お母さん助けて)と思っていたし、なぜ父はたたくのか理解できなかった。

叱るだけでも、十分恐怖だった。そこに座りなさい。と、前に正座するだけで十分こわかったし、反省できたと思う。

痛いのが嫌だから、しない。ということにはならず、

こわいのが嫌だったし、なぜたたかれたのかというのは、覚えていない。

だから、ものすごく悪いことをしたからたたき、このくらいなら、言葉で叱るだけ というのは、私の中で区別がついていない。

だから、私が育つ上では、たたくことは無意味だったと思う。

 

そして、私は母になって、家族といる中でこう思う。

 

家の中に怒りがあることの恐怖。

父と同じように怒鳴ってしまう自分への強い否定。

 もう怒りたくないと、子どもの前で、叫んで泣きじゃくった時期もあった。

怒る旦那を否定してしまう。腹立つなー!と同意できず、怒るあなたが悪いのだと否定してしまう。

父からたたかれているとき、母がつらそうにそばで見てたことを思いだすが、私は、あの時たすけてほしかった。

 だから、私は、旦那が子どもに感情で怒鳴っている時は、旦那に立ち向かい言い合いをする。

 その後、子どもに、怒られた原因を諭す際、父親が怒鳴ったことや、まれに手が出ることは間違ったことだと伝えてしまう。

 怒鳴ることや、たたくことが愛だとは言えない。

落ち着いて話せばいいし、ビシッと短く怒るので十分伝わるのに、感情に任せてどなりちらすのが許せない。

そして、自分もそうしてしまうことがあることが、また、許せない。

穏やかな母でありたい。

怒りに負けたくない。

 

 

今日は、友達とも、子どもに対して怒鳴る、たたくの話になった。

我が子を怒る時に、たたく、どなるということはよくあることらしい。

人間だから、感情的にどなることもあるし、もうそろそろたたかれるなと子どもが身構えて防御するようだ。

それも含めて、教育にもなっているのでは、という話。

世の中いろんな人がいるし、人はかえられないから、どんな人ともつきあっていくときに、それも経験になると。

 

子育て本でも見るような話だなと思った。

母も人間だから。と、母を許すような言葉。

 

本当にそうかな。母の感情を感じることは、大事なことだと思うけど、怒鳴り続けたり、それでも聞かないとたたいたりということは、良しとされるものだろうか。だめとわかっていても、しちゃうからしょうがないのだろうか。

頻度の問題?

程度の問題?

 

 

話は変わるが、先週末、子どもがサッカーで怒られたそうだ。

コーチのうちの一人が父親だ。父であるコーチから、子がふざけていると思われて、蹴られたそうだ。みんなの前で。

自分にだけいつも厳しいという。その時もふざけているつもりはなかったと言っていた。ふざけているように見えたのだろう。

蹴る必要があっただろうか。

父親も人間だから蹴ってもいいのだろうか。

それが教育となって、一つの経験となり、将来役立つのだろうか。

父親、コーチからの愛情だと、子どもが受け止めるよう、母が見守るべきなのだろうか。

 

私は、蹴る必要はなかったし、蹴った父親・コーチが悪いと思う。

愛情は、蹴らなくても伝わるはずだ。

 

人は変わらない。自分は変えられる。

だから、自分の考え方を変えたり、相手との接し方を変えることで、改善していくように「教え」があるとしたら、

自分の心を救うために「教え」があるとしたら、たたかれる子の心は、子が向き合うことになる。

たたく必要はない。

怒る人が変わるべきである。

やはり、そういう結論に、今の私は、おちついてしまう。

 

 

CT

JUGEMテーマ:乳がん・乳癌・乳ガン 

 

抗がん剤2種類目を終えて、三回目の検査。

CTでした。

造影剤、いつもは体が熱くなる感じだけで、なんともないんだけど、今日は、造影剤の点滴が入ってきた直後に、吐き気が。

心臓、子宮、のど、顔、と、かぁ〜と体が熱くなり、息をとめると、よけいに増す。なんとか吐き気を我慢して息を止めました。

 

息をすると、少し楽になって、技師さんが声を掛けてくれて、あと30秒頑張れた。

終わってすぐ、看護師さんが血圧チェックしてくれて、酸素チェックしてくれて、すばやい対応にびっくり。

つばがでてきて、ガーゼで捨ててくれて、体の変化を細かにチェックしてくれました。

 

数分で落ち着いて、体を起こしてくれて。なれたもんですね。

対応に、安心感を持ちつつも、あんなに急に体に変化があったのは初めてで。

結構不安になってるな、私。こわがってるな、私。と、思いながら帰宅。

 

数日後MRI。ちょっとこわいな。

次からは、はいてもいいように、ウィッグ外して受けようかな。

 

今まで何でもなかったことなのに。何度も受けたからなのか。からだがよわっているからなのか。

親と私

JUGEMテーマ:こころ

 

実家と距離が離れているので、いいこととか、報告ばかりになってしまう。

本当は、相談したいし、愚痴りたいし、母に会いたいし、自分の思っていることを伝えたい。

 

何度も手紙を出そうと思うのだけど、何をどこまで書いていいのかためらってしまって。

今日とりあえず、息子たちがかいた絵と、短い手紙を送ろうかと思う。

 

心の内を、すべて伝えてしまったら、心配を増やすだけだし、

家族の絆に混乱をきたすこともあるし、

きっと言わない方がいいのだろうけど、やっぱり私の本心は、私の失敗もしってほしい。

そうだったのね。と聞き流して、見守ってほしい。

人のせいだと思っていたことが、自分にも原因があったことを知り、親を裏切ったことにもなった。

 

私は、実家に頼れないのに。私が悪いニュースは伝えないので、旦那の評判もとても良い。

主人は実家に甘えられる。怒られない。諭されるだけ。甘えさせてもらえる。

 

どうしてこうも違うのか。

うらやましさと、この人を厳しくできるのは私しかいないという責任感と、自分と比較してしまうこと、

義父母に心から甘えられないこと、たくさん自分に原因があることは気づいているのだけど、

かたくななのだ。

 

どうしても、この人の前では譲れない。正してしまう。

それも、だいぶ疲れてきて。

ケンカは減ったのだけど、根本は何も変わっていない。

 

私の病気を知り、泣いてくれた母。

いつも私のそばで、支えてくれる長男。

私の足にしがみついてくれる次男。

 

3人のために、生きることが、私の生きる価値であろうと思う。

病気で死んでしまえば私は悪くないし、子どもたちにとっても、それは強いストレスとなるだろうけど、それが育ちの上でいいことになるとも思う。でも、生きることから逃げれないよね。

治療費を使わせてくれ、病院に行かせてくれる主人にも、受け身で距離をおいてくれる義父母にも、感謝。

家庭倫理の会子育てセミナー2回目

JUGEMテーマ:こころ

 

1月初め、家庭倫理の会のセミナーに行ってきた。2回目。

あと2月にある会に参加したら、入院、復職でもう行くことはないだろう。

 

今月のセミナーでは数分スピーチをしてほしいと、頼まれた。

会員でもない私が、貴重なみんなの時間に、前に出て話してもいいんだろうという遠慮がまずきたけれど、

自分のここ数か月の感情を今一度整理するチャンスだし、人に伝えたい、聞いてくれる人がいる、それはとてもありがたいことで。

是非にとお願いしました。

 

1月のセミナーは「親の感情をコントロール〜自分の感情との付き合い方」でした。

 

・怒りやイライラの原因は自分にある。

・他人と比べて悩まない。自分で自分にプレッシャーをかけなくてよい。

・我慢しないで、あっさりと伝える。困ったことはまず主人に相談。それが家庭の一本の筋となる。

・責め心からは何も生まれない。

・「私は感情のコントロールができる!」と言い、思い込ませる。

・毎日、子どもに「あなたはそのままですばらしい!」「大丈夫」など、褒め、愛を伝え、抱きしめる。

・お料理、お食事は命の元をつくること

・喜んで、楽しんで、いそいそと働き家事をする。丁寧にすると気持ちがよく、自分にとって良いこととなり帰ってくる。

・ケンカは、自分がその舞台から降りる

・相手の話を聞ききる。

・主人が子供を注意して怒り出すのが嫌ならば、命令口調や怒鳴ったりしたときに、私が子どもを手伝う。

 誰のことも否定しない。

 (我が子が病気で外で遊べなかったら、汚れた靴下や砂まみれの廊下がどれだけ嬉しいか)

・私の乳がんは、とってもらうことで、【かたくなだった自分】【かちこちの心】【さみしさ、認められたい気持ち】すべて流してくれる。胸に感謝して、お別れし、軽くなったことで新たに始まる。

 

自分の心にすとんと降りてきた言葉たち。

できてないこと、多いけど、できるようになった瞬間も増えてきたし、今その瞬間の自分を客観視することも増えてきた。

人のせいばかりにせず、自分の中の気づきで、心の持ちようが変わってくることを感じられるのは、病気によって休職して時間にゆとりある生活をおくれたことが大きい。

その時間で、ブログを書いたり、本を読んだり、セミナーにでかけたり、きっとこのことが私のこれからをよくしてくれると、心から感じる。本当によかった。

 

次の数分セミナーで、短期間だけど参加させてもらった感謝を込めて、お話させてもらいたいと思う。

FEC3回目、4回目

 

FEC3回目

長男が、(母が病院でつらいことをされているのではないか)と不安があったようなので、

治療に一緒に連れて行きました。

待ち時間にあっという間に本を読み切る長男。

診察で、術式の説明があり、母の胸が一つなくなること、再建の方法があることを知った長男。

「ねぇ、なくなっちゃうの?もとにもどしてほしい」とお願いされました。

定期健診のことを考え、全摘かなーと思った私の心は揺れました。

 

帰宅して、主人にも相談することに。

子どものためには、再建したほうがいいのかも。と思ったので。

 

今まで「いままでと変わらずに普通にしてがえるのが、自分のつとめ」と考えていた主人と、

「嫁の一大事なのだから、積極的に知る努力をしてほしい、病人扱いしてほしい」と思っている私の差がくっきりと見えました。

 

再建の方法も、簡単に報告していたけれど、すっかり頭になかったようでした。

私の病気のこと、もっと知ってほしい。と言うと、いくつかのサイトを見てくれたようでした。

どうせ、そっちが決めるんだから、俺が調べようが調べまいが結局同じだ事だと、最後には匙をなげられ、

ショックでした。

身内に、乳がんの治療を一通り終えた方がいらして、主人の身内なので、知っていることを教えてもらったり、相談してみては?と、提案するも、連絡すらしていませんでした。「誘う文章を考えるのも、大変」という理由でした。

私の胸一つと、メール一通の送信が天秤にかけられ、メールが勝ったのだと思いました。

 

もういいわと、あきらめると、主人は怒り出しました。

さんざんでした。

 

前回同様、一週間の食欲不振。

脂っこいものがたべれず、のどが細くなった感じ。

カプセル錠剤を呑みこむのがつらかった。どうしようもなくて、ジュースで流し込んだ。

 

おいしそうだし、お腹もすくのだけど、作ってみると疲れてしまって、のど通らず。

パンものどを通るのが気持ち悪くてだめ。

これなら食べれそうと、ラーメンを作ってもらうも、3分の1で断念。

うどんも太くてだめ。

そばは割といい。

朝起きてすぐは特に、空腹と、だるさと、ぎゅーっとしめつけられるような違和感があり、

動くのが億劫。

起きてすぐ、そうめんを食べることにした。すこしいいおつゆを買っておいて、

少しずつ小分けで食べた。

 

不思議と、義理の実家で作ってもらったご飯は食べられる。

外食もしゃべりながら食べると、思ったより食べれた。

 

ひとりで家で食べるのは、だめということは、気持ちの面が大きいのかな。

 

年末年始、注射のおかげか元気に過ごすことができて、子どもたちの前で、起きていられたことがよかった。

 

 

FEC4回目(最後)を昨日、点滴してもらいました。

血管が固くなっているのは、時間をかけて少しずつよくなっていくかなーとのこと。

全摘か人工パッドの2択になり、全摘にしました。

 

息子たちには、前日の入浴中にさらりと伝え、

長男は、見た目が変わることに一瞬動揺したように見えましたが、「ずっと健診が続くなら、そうやな!その方がいいな!」と明るく答えてくれました。

数本残るだけだった私の髪の毛は、FECの2回目をすぎたころからなんとなく生え始め、1ミリくらいの坊主頭になりました。

男性なら、普通に街を歩けそうです。この頭も、主人は見ないようにしているのか、見たくないのか、話にも触れませんが、

長男は、私の坊主を、笑い飛ばしてくれました。「おおおー!」と喜んでくれたのです。

 

私も、まじまじと自分の頭を観察してしまいます。

ショックと言うよりは、興奮というか、これからどうなっていくのかを知りたい好奇心のようなものかもしれません。

 

次男は、いつも、じっとみつめるだけで、胸がなくなる話をしたときも、言葉はありませんでした。

泣くこともなく、質問することもなく、ただ、聞いてくれました。

ちょっと気がかりですが、心配してくれてることも、怖さがあることも、自分はなにもしていないのに、降りかかってくる現実が、

センシティブなこの子には、とても重たいことだと感じていて、これから、1対1で話すこととか、遊ぶこととか、大切にしたいなと思いました。

 

予定を減らすことからはじめよう。

JUGEMテーマ:こころ

 

 

病気である自分が居心地がいい。

治ったら、頑張らなきゃいけなくなる。家事やパート、普通の生活を送るための期待に応えなきゃいけない。やらなきゃいけないことに埋もれて、できない自分を責める。楽しいことから遠ざかる。

 

だから、いい治療があると情報があっても、続かない。

やってみる。というものの、やりたくないのだ。

抗がん剤は抵抗があるし、嫌なのだけど、半ば強制と言うか、周囲の目もあるし、行くことが当然であるように思える。

食事療法や、体を温めたり、適度な運動、リフレッシュ、ストレス解消、自分見つめ、他の治療法…そうなると、とたんにやる気が持続しないのだ。

最初は、やらなければ!やりたい!と思ってはじめたことでも続かない。めんどくさい。

 

それは、やっぱり、今が楽だから。

 

だから、他のいいことをするはやめた。

 

たんたんと生活を送ってみたい12月。

それでも、自己分析のためセラピーにも一度言ったし、

夫婦や子育てのための講座や、セミナーには参加したのだけど。

声が出なかった期間も10日ほどあったし、予定はぐんとへった。

 

朝日を浴びる日が増えた。

太陽ってやっぱりすごい力を持っていると思う。

温かくて、明るくて、目を閉じても感じる、気持を前向きにしてくれる。

 

ゆっくりなにも予定がない日が続き、断捨離が進み始めた。

片付けオーガナイズも依頼した。

一つ一つ、物を手に取り、手放していく。

着なくなった主人の服や子供の服にハサミを入れて、ぼろ布にする。

おもちゃを子どもと相談し、数を減らした。

本も、減らした。

主人の部屋がだいぶ片付き、

子どもの部屋も、おもちゃを運び入れるのみとなった。

年末年始。自分の時間を確保して自分の持ち物を見直す。

身軽になって、好きなものに囲まれて暮らすことに近づけるよう。自分が楽しいと思えたり癒される空間が家にできるよう。

 

孤独になってみるといい と何かで読んだ。

誰かに聞いて答えを教えてほしい。とか、

自分が知らない自分を教えてほしいとか、

他人に頼っていたかもしれない。

結局自分のことを知れるのは自分だけということ。自分がどうすごすのかも自分次第ということ。

予定をいっぱい入れて、他力に頼っても、結局自分が納得してなければ、無駄になる。

もっと孤独になって、自分のことを思いだしてみたい。

あー。さみしい。

学生時代のように、おうちでだらだらとおやつつまみながら、お酒飲みながら、

いろーんな話ができたらいいのに。

もっと、人間関係がひろくなるといいのかもしれない。

もっと外に出ろ。

もっと経験しろ。

もっと感覚で選べ。

できないとおもっていることをやってみる。

子育ての勉強会で出された宿題。

頭の中で完結して、経験してもいないのに答えを出して、やるまえからあきらめる。

興味のないことをやってみる。まわりみちして、たどりつくことがある。

興味のあることを探さなければと思ってた。

興味のないこと、できないこと、嫌なことをやってみる。来年の私の目標。

とりあえず、年末の子供のサッカーの蹴りおさめで、保護者参加のサッカーや腕相撲大会に挑戦する。

去年も、一昨年も、なんとなく場を離れて逃げた。走って咳き込むのが嫌だ。できない自分をみられるのが嫌だ。大嫌いなサッカーなんてやるもんか。くだらない。みんな楽しそうでいいですね。と卑屈になってた。

今年は、やってみる。

 

かわれ。私が変わって、息子もかわれ。

FEC2回目

12/20 初回投与から3週間あけて2回目。

前回食欲がなくなったので、嫌だなぁ〜と思いながら来院。

 

前回は、退院後4日ほどして、声がでなくなった。

友達とおしゃべりして帰宅したらがらがらで、10日ほどほとんど声が出なかった。

声がでなくなって一週間ほどしたころ、近医をかかっていいか聞くと、すでに発熱してた。37度8分。

渡されていた抗菌剤や解熱剤などを一週間のみ、回復。

 

このことがあったので、今回からは、FEC投与の翌日に免疫力をあげる注射をすることになった。

保険がきくようになったようで、10万ほどの注射が限度額内で受けることができた。

 

パクリタキセルとハーセプチンを12回行った左腕。関節のちょっとしたあたりが、腕まくりをするたびに痛む。

筋肉痛のような痛み。あれ?とさすりたくなるような痛み。点滴の針がささったところではなく、7,8センチ上あたりの血管かな。

看護師さんに伝えると、腕の表側にいつも指していたけど、裏側の血管からさすことになった。

看護師さんはいつも優しい。

本当に病院、通院は居心地がいい。

怒られることはないし、できなくてもいいし、遅刻しても笑顔で許してくれる。

通院は楽しい。

 

しびれはまだ残っている。

眠る時、足が、冷たいのかしびれているのか変な感じでもぞもぞしてしまう。

でも、だいぶとれてきてるかな。

顔をくちゃっとうごかすと、しびれているような感覚がある。

顔がとにかく冷たい。寒い。外に出ると、寒さが痛む。

これは、前からだけど、ちょっと敏感になってるかも。

 

FEC2回目のその後は、直後は支障なく。その日の夜から食欲がおち、風邪のひきはじめのような、だるさというか、

やる気がおきないような感覚。

吐き気はないけど、お腹はすくのに、食べるとむかむかするというか、

吐き気止めのおかげで、吐かずにすんでるけど、うがいとか、大きなカプセル錠剤(イメンド)を飲むときに、

のどがつかえる。一度、錠剤がのめずに、ジュースで流し込んだ。

 

鉄剤が続いている。普段は全く感じないけど、貧血ぎみらしい。

立ちくらみはある。

 

便秘は再び。

酸化マグネシウムをもらえてよかった。一度、コーラックみたいな強めの便秘薬を飲んだ。お腹が膨れて苦しくて。

でも、一週間たつと、本当にすっきりとして、やる気がわいてくる。

休みに合わせて、断捨離をして、子ども部屋を作ることができた。

たこ焼きもみんなとたくさん食べれた。

 

やっぱり、抗がん剤の副作用なんだと認識する。

 

次回まで2週間、年末年始もあるし、楽しみたいと思う。

FEC初回

一週間の入院と聞いていたので、前回と同じ、月曜日〜金曜日と思っていたら、日曜日までだった。


一日早めてもらい、土曜保育もお願いした。

それでも、義父母には6日間も息子二人を見てもらった。


入院中の食欲が落ちた姿を見せずにすみ、子どもたちもおじいちゃんおばあちゃんと楽しく過ごせたようで、よかった。


当日は、夕食まで問題なく食べることができたけれど、翌日は3割〜5割ほどしかたべれず、完食を、コンビニで追加してたべた。

フルーツや味噌汁が食べやすかった。


麺類にご飯をかえてもらってから、主食も7割八割食べれるようになったけれど、

胃が硬い感じと、便秘で満腹感があり、お腹がつまってるような感じ。


入院中あまり散歩にも出ず、体力が落ちた。

ふらつきや、一人で帰宅することが不安に思えて、退院日は義父母にお迎えに来てもらった。


吐き気度目が、たくさんでてる。

お薬がなくなっても吐き気が出ないか心配だけど、ゆっくり少しずつ食べてたら大丈夫と思おう。



退院した日、夜は背中や脇の下胸あたりが痛いような感じ。

手で撫でると、皮膚の下が痛むような感じがした。

月曜日には、気にならなくなっていた。